日本共産党小堀しょうこ

高津区市政対策委員長

おいたち

川崎で生まれ育って

小学校高学年の頃 家族と

1970年川崎市中原区生まれ。両親は小学校の教員でした。3人姉弟の長女で弟が2人。川崎の保育園、学童保育で育ちました。小学生の時の好きな遊びは木登り、ドロケイ。友達と自転車で出かけたり、どれくらいの高さから飛び降りられるか?!と、スリルを求めて友達と外で遊ぶこども時代でした。

一人ひとりを大切に保育士25年

川崎市の公立保育園に就職。ハンガリーのわらべ歌保育を実践している園で、学びと実践の毎日でした。学び、より良い保育をめざす先輩保育士の姿に刺激を受けました。沖縄・豊城村の無認可保育園に就職。自然の中で遊ぶこととリズム体操での身体づくりを大切にした少人数異年齢保育でした。豊かな自然の中での保育が楽しく、夢中で過ごしました。
地元に戻り、仲間と共に横浜で無認可保育室を設立。まだ残る自然の中で、異年齢、少人数、障がいのある子もみんな一緒に過ごす、理想の保育をめざしました。
一人ひとりのこどもが感じること、「これをやりたい!」と「楽しい!」いう気持ちを大切にした保育をしたい、と思い実践してきましたが、保育環境の整備や保育士の待遇の改善など、良い保育をするためには政治を変える必要があると感じました。

つながりあって共に育つ地域を

外でみんなで遊ぶこと、キャンプが好きなまま大人になり、少年団に出会い、少年団活動を始めました。自分のこどもが生まれ、小学生になると「少年団がある環境でこどもを育てたい!」と、地域に少年団をつくり、集団で遊んだり、キャンプを楽しみました。こども、青年指導員、親たち、いろんな人と出会い一緒に年月を過ごす中で、みんなで育っていける地域をつくりたいと思います。

安保法制のたたかい国会秘書

2015年4月より笠井亮衆議院議員の秘書として働き始めました。安保法制のたたかいの真っただ中、「戦争はいやだ」というみんなの声を聞きながら、あの時期を国会で過ごしたことは私の宝物です。オスプレイ配備や、南スーダン自衛隊日報問題などの質問準備に関わり、国民の声を国政に届ける日本共産党国会議員団の姿を見てきました。市民の声を真っすぐに市政に届ける仕事をした
いと思います。

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